どこにでも居る大学生たうやのブログ

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自由になりたいと少しでも思ったらぼっちになれ!

 

tauya.hatenablog.com

 

 

どうもたうやです。

 

突然ですが私には友達はいます。←すごくもなんともないのにね笑

しかし私は基本的にその人たちと一緒には過ごしていません。それには理由があります。

なぜなら私はぼっちでありたいからです。そしてぼっちこそがこの自由という鎖で結ばれた現代を自由に生きる唯一の存在であると思っているからです。

ぼっちという存在を自由(公的な自由、私的な自由、将来的な自由の三つ)というテーマで考察していきたいと思います。

 

何をしても大概のことは許される(公的な自由)

 

ぼっちは周りに迷惑をかけない限り基本的に何をしても社会から責められません。正確には責める対象になり得ません。
教室でゲームしようが、アニメ観ようが、食パン食べようが←自分はよくやってます笑、自由です。
友人といるとゲームもアニメも食パンを食べることもあまり出来ません。することといえば毒にも薬にもならない駄菓子の如き会話(範馬勇〇郎風)だけです。
こんな事に大学生の貴重な時間を削っていいのでしょうか?
大体コミュニケーションとか協調性とか云々言ってる奴に限って話した内容覚えていなかったりするんですよね。人に合わせたり、その場に適切な言葉や話題を選択するのに必死でちゃんと話を聞いていなかったり本当に思ってることではないことを話したりしていい加減になっています。
そもそもそんな間柄と会話して楽しいのですかね?
話していて楽しくもない、話していて価値もない、だったらいっそ話さなくするほうがいいんじゃないですか?
そもそも人にとってのコミュニケーションとは生き残る術であり、多幸感を得るための1つの手段である。
1人が寂しいとか、周りに友人がいないと思われたくないとか、人脈を広げておきたいとかよく分からない理由で人と関わるようにしているなら今すぐやめるべきであると思います。だってそんな理由じゃ相手にも失礼ですから。

 

他人に合わせる必要が無い(私的な自由)

 

上と似ている理由ですが、ぼっちは基本的に1人でいるので自分の都合を100%通せます。しかし友人と一緒に何かをする場合はそうはいきません。単純計算で自分を含めた5人の友人グループと何かをする時に自分の都合を通せる確率は20%です。
よく「みんなの都合が合う日に遊びに行こう」とかありますけどあれってただ予定がない日を言い合っているだけで自分の都合がない日を言い合っているわけではないですよね。だってその日遊びに行く気分じゃなかったら都合はつけないですよね?でもそれってその日にならなきゃ分からないじゃないですか。
つまり予め日にちを決めている時点で都合なんてつけてません。遊びたい時に遊び、遊びたくない日に遊ばない、そんな些細なことでも友人と一緒になるとできなくなってしまうのです。
しかも遊ぶ日にちだけでなく、内容まで都合がつかないことが多々あります。人の価値観が多様化された現代社会、全員のやりたいことが同じなんてことはほとんどありえません。
1度きり人生に本当にやりたいことをやらずして、あなたは幸せですか?

 

将来を充実させられる(将来的な自由)

 

ぼっちは他人との関わりが少ないため、自分の将来に対して費やせる時間がたくさんあります。
自分の将来に対して費やせる時間には夢探しも含まれています。
あなたは自分が本当にやりたいことは決まっていますか?まだ決まっていないならばそれには原因があります。それは自分自身に向き合っている時間が少ないからです。
ぼっちの人は自分自身についてよく考えます。なぜなら他人のことを考える時間がないからです。自分自身についてよく考えているということは必然的に将来のやりたいことも見つかりやすくなるのです。
自分がたくさん考えて見つけた将来の夢なんですからきっとそれは本当の自分がやりたいことになっているはずです。それを成し遂げ、将来幸せになってください。
そして見つけた自分の将来の夢に対して多くの時間を費やせば、当然自分の将来の道が広がります。
たとえその夢が今の時点では実現が難しい夢であっても時間をかけさえすればきっと夢は叶えられます(ぼっちは暇になりやすいからです笑)。
しかし友人とわいわいしている人はそうはいきません。
夢の素晴らしさに気づかず、目先の楽しみに惑わされ、人生の半分以上を左右する仕事に対して一人で真剣に向き合えない人にはなりたくないものですね。
将来の選択肢が増え、自分の本当に叶えたい夢を見つけ、それに向かって日々精進する。これ以上に素晴らしいことがあるのでしょうか。

 

 

このように社会からあまりいい評価をされていないぼっちと呼ばれている人々について、自由というテーマについて考察しました。
人の生き方なんて何が正しいかはわかりませんが、これが自分が正しいと思った道です。
私は読者の皆様にボッチになりなさいなんて思っていません。
ただ、決してぼっちがすべて悪いことではないことを読者の皆様に知っていただきたいだけです。
またもし読者の方がぼっちで悩んでいらっしゃるのならば、こういう考え方もあるんだよと頭の隅にでも置いといていただければ幸いです。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。